pampahumide’s diary

ぼうっとしてる時に思うこと

流砂

子供の時から死ぬのがものすごく怖かった。

 

怖くないですか?その先がどうなってるのかわからない。そこはどうやってもコントロールできない。ラジオでもポッドキャストでもいいんだけど、そこまでにぎやかにやっているのに、終わると突然、無音の世界が来るでしょう?にぎやかな世界から突然、切り離されて、ひとりきりで、ああいう無が、自分のこの日常の先に待っていると思うと、心底怖かった。

 

正確には、その一瞬のひとりぼっちの後悔が怖い。絶対に何かしら後悔する気がしていた。

 

ヘニング・マンケルが大好きなんだけど、ものすごく売れてるミステリ作家だと思っていたら、亡くなる前に、流砂という本を出した。それは人類の過ごしてきた時間についての、長い長い本で、面白かったけれどよくわからないで読んでいた。なぜこんなものを書いたのか...

 

で 
その後、自分の齢が否応なく重なると、だんだん体が思い通りにいかなくなる。死って急には来ないんですね。あっちこっちだんだんダメになっていくのがわかる。運動したりストレッチしたり、でも大きい目で見ると絶対勝てない。勝てる奴はいない。

 

深夜眠れずにそれを考えていて、見えたんですよ。

 

気づかなかったけれど、時間という、誰も勝てない巨大な流砂がずっとそこにあったのと、それに埋められてきた、自分の前に生きてきた、ものすごい数の人間たちの背中が見えました。すごい数だった。ずっとずっと先まで続いていました。今も抗ってる背中も見えた。半分埋もれてるけど....

 

もう怖くないです。だってみんな一緒だったんだ。

 

あとね。こんな美しい世界で、おもいきり足掻けたから、来世はなくても充分です。生まれてくることができてよかったです。何度ももうダメだって思ったけど、最初から大丈夫だったんだね。

マンケルは自分が認知症的になっていくのをひしひしと感じつつ書いていたと思うけど、彼の脚を埋めていっていた流砂を今私が足もとに感じてる。もし天国があって彼に会えたら背中をたたいてあげたいです。

 

何億回目かに桜の咲いた日に。

 

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