若い時は無駄な気張りがあるので、なんとかなる。問題は今である。
ヨーグルトの蓋の裏に残っているヨーグルトは、特別おいしい。本当かわからないがそう思える。水気が抜けているからかもしれない。問題はここの食べ方である。
左手で容器を押さえて右で蓋をめくる。ちょうど目の前に蓋の裏が来る。
はい、ここで容器を置いて、蓋を左手に持ち替えて、お匙を右手で取って、丁寧に擦りとって......
とは行かずに口に蓋を持っていきたい。
理由1 垂れこぼれの心配
理由2 無駄なくヨーグルトが口に入る
というのは言い訳で単に面倒くさい。しかし蓋を舐めながら内心はこの姿に抵抗がある。美しくない。
昔新年の誓いに、蓋を舐めないというのをやった。大抵の誓いは忘れるが、これは365日きっちりやった。やり終えて正直、やり通した意味がわからないと思った。誰も見てはいないし、やればできる自分を証明しただけだった。
知りたいのは一点だけだ。
優雅な人間が優雅でいられるのは人前だけ優雅にしているのか、それとも24時間内心の優雅を貫いているのか?それとも優雅な人間は優雅でいるための努力なんてもともといらないのか?
歳をとれば取るほど蓋を舐めてる自分は見苦しいだろう。苦悶は続く。
いやそもそも優雅な人間は蓋のヨーグルトなんて取らないのか。